大雲院と宝持院の土居(静岡県)

静岡県
07 /29 2016
深沢城付近に館の土居(土塁)を残すお寺が二ヶ所あります。

大雲院宝持院



地図で見るとわかるように深沢城からはかなり離れているので
(グググッと北東に行くと深沢城)
城と直接の関係はなく、この地を治めていた深沢氏ら大森一族の館跡ということになります。


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大雲院はお花いっぱいの素敵なお寺。

天文元年(1532)深沢六郎または八郎により開基または再興(よくわからない^^)
とにかくこの場所に深沢氏の館があったことは間違いありません。


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大雲院の山門はなんと! 深沢城の大手門を移築したもの。
落城退去の際の焼失を免れこの場所に移されたそうです。


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「往昔 深澤城の大手門を移築したもので
 大正十二年九月一日 関東大震災に倒潰 昭和二十五年三月 復原再建した」
と説明が書いてあります。

復元ではなく復原ですね。
よくぞ残ってくれました(-ω-、)
 

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土塁は山門前の駐車場周囲に。

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木が生い茂ってわかりづらいです。

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茂みの中に小さな祠が祀られてました。



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続いて宝持院。

宝持院は元は二岡神社の神宮寺(付属の寺)で、
長禄2年(1458)大森氏頼が早世した娘の菩提を弔うためにこの地に再建。

当時二岡の寺は荒廃してたんでしょうかね・・・
娘(章子さんという)の菩提寺ならもっと小田原に近い方がいいような気がしますけど、
大森氏と二岡神社は関係が深いので大切な娘のためにその神宮寺を選んだのでしょうか。

この付近には「沓間」という字があり、沓間氏は大森氏の分家。
宝持院に残る土塁は沓間氏か大森氏の館だろうと。どっちにしろ大森氏なんですけど。
土塁の規模は大雲院より大きく、立派な館だったことが窺えます。

なお「沓間」という地名は源頼朝がこの地の神明宮で蹴鞠のため沓(靴)を脱いだことが由来だとか。

靴を脱ぐだけで地名になる頼朝って(-∀-`; )


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山門のすぐ裏手に土塁があります。この先ずーっと100mくらい続いてます。

階段のあるここは土塁というよりは櫓跡のような広さで社が建てられています。


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土塁下の石仏


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写真だとはっきりしませんが、参道から本堂奥まで土塁が続いています。


この日は見逃してしまいましたが宝持院には章子さんのお墓があるそうです。
一通り見て回ったんだけど気づかなかったんですよね・・・
どこだったんだろう・・・?


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