菊地氏の宝篋印塔復活!

大森氏をたずねて
09 /26 2017
「大森氏の子孫 菊地氏」
生往寺の宝篋印塔がバラバラになっててショックを受けた件。

無事に修復が完了したとメールを頂いたので見に行ってきました。
メール頂いたのは7月だったんです。夏の間はあまり動けなくて遅くなっちゃいましたm(__)m

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3ヶ月ぶりの生往寺です。
良い季節になりましたね。


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ドドーンッ
これが修復されたお姿。
新しい外柵がつけられ玉砂利が敷き詰めてあります。眩しい!気持ちいい!

考えてみればお墓のリフォームは割とポピュラーなことでした。(うちもやりたいかも)
バラバラだっ と大騒ぎしてた自分が恥ずかしい(笑)


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左から菊地泰次、
泰次の妻(泰定の継母)、
佐久間頼照の母

↑ご指摘いただき訂正いたしました。


菊地泰次が亡くなったのは慶長15年(1610) 江戸時代の黎明期ですね。
ご存知の方も多いでしょうが、宝篋印塔は時代と共に形が変化します。
この頃になると細身になって隅飾(真ん中の花びらみたいなとこ)が開くんです。
古いものほどどっしりとしてて隅飾は真っすぐ。乗光寺の大森六代の墓はちょっとだけ開いてます。
戦国時代に開き始めて江戸時代になると一気に花開いちゃう感じ。

菊地氏の宝篋印塔は時代がよく反映されている美しい形だと思います。


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(別本乗光寺本大森系図 『大森氏と足柄』足柄史談会 に加筆)

佐久間頼照というのは泰次の孫で、外戚佐久間氏に養われて佐久間を称し、
その子、頼直が大森姓に戻すことを許され、離散していた先祖の墓を乗光寺にまとめ、大森系図の整備もしました。


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