北川殿と笠原新六郎

静岡県
06 /09 2017
意味深なタイトルになってしまいましたが
北川殿と笠原新六郎(政尭)に何やら関係があるのではなく、
大平新城&古城の帰りにそれぞれの菩提寺に行った というただそれだけの話です(;´∀`)

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前にも触れましたが大平は今川氏に縁の深い地域で、
今川義忠の正室北川殿の菩提寺、桃源院があります。

大平の大井地区、石切り場もある切り立った山の影。
とても静かで気持ちのいい場所でした。


今川義忠は義元の祖父、北側殿の産んだ子が氏親で義元の父になります。
ややこしいので義忠~氏真を正室付きで表すと

 今川義忠(北川殿)━今川氏親(寿桂尼)━今川義元(定恵院)━今川氏真(早川殿)
   
このうち北川殿と早川殿は北条家の人です。
といっても北川殿は北条早雲の姉ですのでまだ北条家ではなく伊勢家の頃なんですけど。

ここ20年くらいで一気に進んだ早雲の出自研究では北川殿の存在が非常に大きく、
だって今川に正室に入れるくらいの家柄のはずなんですから。
北条早雲と北川殿の父は室町幕府政所執事の伊勢氏の一族、伊勢盛定。
そして母は伊勢氏宗家の伊勢貞国の娘、というのが現在の定説です。

今も早雲は素浪人だと信じてる人はいないと思いたい・・・


なお北川殿は妹とも言われてますが、それは早雲の生年がはっきりしてなかったせいで、
確実な資料には全て姉と記されています。

姉なんです!姉で統一してくださいっ


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山門は寛政年間築。
近隣の武家屋敷からの移築だそうです。


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山門から見る本堂。


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明るい雰囲気の桃源院境内。

残念なことに北川殿の五輪塔は地震による山崩れで所在がわからなくなってしまったそうです。
偏照寺の今川範氏親子の墓のように、ひょんなことで発見されるといいですよね・・・



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こちらは三島市御園の亀霊山蔵六寺。
大平新城からは車でほんの2~3分、狩野川を越えてすぐの所です。

戸倉城の記事で書いた笠原新六郎ではないかといわれている正厳和尚が開いたのがこの蔵六寺。
そうです。あの蔵六寺なんですよぉ。

三島市郷土資料館で和尚の墓の写真を見て訪問したいと考えてはいたんですが、ホラこの付近って常に行きたいとこ満載で。
ひなMAP(非公開のGoogleマイ行きたいとこマップ、現在200ヶ所以上、特に静岡はごちゃごちゃ状態)に印してあるんだけど場所をきちんと把握できてなくて、
大平に着く寸前に「あっ 蔵六寺がある!」って発見したんですよ。(発見か?これ)

ですからこの日に蔵六寺に行けたのは偶然。新六郎か神のお導きなのでしょうきっと。


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亀ハウスではありません。本堂です。

笠原新六郎は出家して蔵六坊と名乗り、後にこの地の後藤石見守に請われ開山しました。
亀霊山蔵六寺には亀のように頭、手足、尾の六本を蔵す(隠して見せない)という意味があり、
新六郎が世を忍んで悔恨の日々を送っていたことが推察できます。


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歴代住職の墓誌。
最初に正厳和尚が記されています。

天文2年(1533)後藤石見守に請われ開山、和尚が亡くなったのは永禄3年(1560)とあります。

新六郎が戸倉城で武田に寝返ったのは天正9年(1581)なので年代は全く合いません。
やっぱり別人か、寺の縁起が間違っているか、どちらかですよね。


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一番左が正厳和尚の墓。


笠原氏は元は伊勢氏に仕えており、早雲に従い下向した古参の家臣です。
ところが最近聞いた話ですが、
信濃に別の笠原氏がいて、武田に敗れて一部が相模に逃れ北条の家臣になって、
その内の一人が松田の養子になり松田新六郎と名乗り、戸倉城に入りやがて武田に寝返り・・・云々


って、何なんでしょういったい。


あと、
映画『ステキな金縛り』で西田敏行さん演じた更科六兵衛のモデルは笠原新六郎らしい・・・
というのも最近知りまして


まさか映画デビューも果たしていたなんて。

ほんとにわからない人です新六郎。


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