小田原用水 その1

おだわら散策
04 /22 2017
日本最古の上水路といわれる小田原用水
建設年代の詳細はわかっていませんが、天文14年(1545)に小田原に来た連歌師宋牧さんが「東国紀行」にて
 氏康さんのお庭の水は早川から引いてるっ! 
と驚いてるのでだいたいその頃だと思われます。
(私は大森氏の頃にあったんじゃないかと妄想を膨らませております   一人で)


水路のことって実はすごく苦手なんですよ。私は古道も苦手です。頭の中で道筋が上手く組み立てられなくてパニックに陥るのです。
今も足柄古道について勉強してるのですが
「つながらない・・・」って地図を前に蛍光ペンプルプルさせて泣きそうになることも。
つまり地理が苦手なんですね。地図自体が苦手です。だからよく道に迷うのでしょう。

でも苦手なのになぜか好きで。好きなのに苦手なまま。
好きこそものの上手なれ ってのは私の場合はちょいと違うようです。

ですから私が水路や古道について語ってる時は「あぁがんばってるんだな」と生ぬるい目で見守っていただけると有難く^^
今回も非常に悩み時間をかけて書いております。


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小田原用水取入口 の入り口です。
箱根板橋駅から風祭に向かって500mほどの国道1号線沿いにあります。


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明治時代の大窪村(現在の板橋)村長、市川文次郎の頌徳碑。
2つの分水事件(小田原水道分水事件、芦ノ湖逆川口分水事件)への功績が称えられ、昭和8年に建てられました。

隣にある小さな祠は水神さまです。


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取水口

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小田原市HP デジタルアーカイブ より)

昔の取水口。
昭和40年頃でしょうか。

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早川からの分水口。
ずっと歩いて行けます。危険ですが・・・


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ここまで来ると恐ろしい。
この後ビビりながら戻りました。


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(小田原市歴史的風致維持向上計画 小田原用水位置図に加筆)

小田原用水は早川から取られ、板橋を通って城下へと流れます。
当初は北側の1本だけだったようですが時代が下るにつれ分岐を重ね、やがて図のように板橋全土を覆い尽くしたのであります(?)
どこに行っても用水があるのは板橋民にとって普通の光景で、生活にはなくてはならないもので、
私の父親が若かった頃までは野菜を洗ったり洗濯したりシジミやヤゴをとったり泳いだりしていたそうです。

私の記憶には泳げるような用水はなく、底にびっしりと茶色の藻が広がるただのドブ川。ゴミも多かったです。
(石を投げて藻が剥がれる様子を見るのが好きだった)
何度か落ちました。私はいつも軽傷で済みましたが、ある時石橋で遊んでいて頭から落ちた妹は大出血。
たいした傷ではなかったもののしばらく通院する羽目になったのを憶えています。

現在は暗渠化が進み開渠が見られるところはごく僅か。
私たち姉妹が落ちた場所も無事にコンクリートで塞がれました。  
ですが古い北側の水路はいまだほとんどが開渠のままで昔の面影を残しています。 
                                                       

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取水された水は国道1号線下を通って板橋に入ります。
ちょうど車が止まってる横断歩道のあたりを流れてます。

箱根登山線の陸橋をくぐった道が旧東海道です。


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用水は図の2の部分で2本になります。
分岐というよりは別の水路から来ているようですが。

取水口近くの水は昔も今も綺麗です。


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手前の橋の下を1本、奥の石段の下にもう1本流れてます。
2本の用水路をまたぐ趣ある小道です。


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こちらが石段の下の橋。石段を上ると旧東海道です。
橋の横の丸い石は大正時代にここで流された子を偲んだ母親の句碑。

昔ほどの危険はないにしても、今も台風の時期などは水量が増え轟音をたてて流れていまので気をつけましょう。


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ちょうど登山電車が走ってました。
景観が最も良いのでよく撮影されている付近です。


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小田原市HP デジタルアーカイブ より)

おそらく同じ場所。
板橋のこういった古い建物は最近一気に減ってしまいました。
これ以上減ってほしくないです。


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1本は暗渠になりますが、もう1本の古い方はカーブして旧東海道へと向かいます。


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こちらは先ほどの箱根登山線の陸橋をくぐった旧東海道。
私達は「旧道」と呼んでいます。

左手張り出しのお宅は東京の嵯峨侯爵邸の一部を移築したもの。
大木のあるところは「板橋のお地蔵さん」で有名な宗福院地蔵堂です。


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上の場所からしばらく歩くと松永記念館と香林寺への別れ道。図の3。
道路の下を水路が流れて北に向かいます。
かつてはここに板の橋が架かっていたことから板橋の地名の由来と考えられています。

奥に見える建物は内野醤油屋さんです。


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江戸時代の分間延絵図に描かれた板橋村。
早川から取水され、東海道を横切り板橋北側を流れ、板橋見附から再び東海道を横切り早川村方面に向かう用水の姿がよくわかります。

板橋の北側というのはご覧のように寺がたくさんあり、
ですから用水は庶民のためではなく寺のためのものだったと考えられます。


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内野醤油屋さん。
明治36年の建築。昭和50年まで営業していました。
小学校の通学路だったので、帰り道ここを通ると醤油の匂いでお腹がすいちゃってすいちゃって。

現在は隔週土日に邸内や工場跡が有料公開され、様々なイベントも開かれています。



その2に続く。。


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