梶原景時館(神奈川県)

神奈川県
04 /14 2017
寒川町に梶原景時の館跡があるのは知ってたのですが、
址といっても石碑が建ってるだけだろうとあまり関心を持てないでいました。

この間高麗山に行った帰りに、「そういえばこの辺だったっけ?」と探したらすぐに見つかって

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ここです ここ。
この一之宮天満宮のある小さな公園が梶原景時の館跡とされています。


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後世の村人が館の一角に建てたという天満宮。


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梶原景時といえば、源頼朝に義経の行いを讒言したことが有名で、歴史上「大悪人」とされたりしてますが
ここではそんなこと一切書いてありません。
近年では判官びいきも薄れてきているし、地元としては優秀がゆえに滅ぼされた悲運の一族としてアピールしたいところですよね。
私も景時は「大悪人」とは思えません。
ただただ鎌倉幕府って怖いなぁ・・・と。


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天満宮からちょっと歩いた薬師堂前にはこんな立派なパネルが。


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地図部分を拡大。
おぉぉなんと堀や土塁が残ってる部分がある~

中世の館は100~200mくらいできっちり四角になってることが多いですけど、
梶原氏の場合は超有力御家人だったのでもう少し広そうです。


なお、この地は寒川町の一之宮、つまり相模国の一宮である寒川神社があり、
頼朝に仕えるようになった梶原氏が最初に館を建てた場所です。
やがて鎌倉にも館を建て景時らはそこにいたのですが、
頼朝死後に御家人達から追放されてまたここ一之宮に戻った、ということです。

上の図をもとに近くを歩いてみましたが、旧堀跡やわずかに残る土塁は確認できず。
何しろ住宅地の中なのであまりウロウロできないんですよ。
土塁だけでもココ!って案内出してほしいなぁ。


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唯一きちんと見れたのがこの七士の墓。
薬師堂前の写真を見ると地元の方達が今日まで大切に守られてきたようです。
 

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墓の後ろの水路。館の内堀の名残だそうです。
ただの溝にしか見えませんが(笑)
でも鎌倉時代初期の館ですから…伝承が残ってるだけでもすごいと思います。


梶原景時が上洛途中で長男、次男、三男含む一族と共に殺されたのは静岡県清水市。
駿河の武士吉川(吉香)友兼が三男景茂を狐ヶ崎で討ち、その刀は国宝「狐ヶ崎」として現在まで伝わっています。
この狐ヶ崎という地名の由来がわからなくて少々イライラ中(^^;
国宝「狐ヶ崎」が由来だと勘違いしてる方もいるようですが、先に地名があって刀の名前は後からなんです。
狐がいっぱいいたからとか、妖狐の伝説があるとか・・・かなぁ?
あ、もしかして全然関係ない当て字? 吉川さんちにつねちゃんという子がいて きっつねー とか フフ


戦いのあった山には梶原山という名が残されています。
いま私たちが日本史を振り返る時、梶原氏の滅亡など小さな出来事として捉えてしまいますが
当時の人達にとっては山に名が残るほどの影響があったのですよね。

梶原山には公園やハイキングコースがあるらしいので、
一度歩いてみたいと思っています。


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