幻庵屋敷その後の発見 

おだわら散策
03 /12 2017
先月の久野北条幻庵顕彰会で立木望隆先生のことが紹介されていました。
市内穴部出身、戦後は御霊屋裏手に住み、まだ世間で関心の薄かった幻庵や早雲出自について研究された方です。

幻庵屋敷を歩いてから図書館で立木先生の著書を読んだら(順番が逆だけど)

genyasiki30.jpg
(「北條幻庵伝略」立木望隆 より)

これですよこの図。
中屋敷ってこんなに広かった~
七軒屋敷はもっと東だった~

立木先生も言われてますが、屋敷をぶった切ってる後世の道路(稲葉氏がつくったらしい)
のせいで屋敷全体像が掴みにくいんですよね。
道路はなかったとわかってるにも関わらず。

築山(幻庵池)はあくまでも庭園があったところで、館はもっと南にあったのね。
そうすると「東国紀行」で宗牧を館裏の山家へ案内する様子が見えてくる。

 幻庵後園の山家みすべしとて竹の枯葉を踏み分けてしるべせられたり

幻庵池のある保育園周囲が館だと思ってたので、後園の山家っていったいどこなのさ?だったんですよ私。


そして、七軒屋敷は想像よりもっと東だった。

genyasiki29.jpg

この辺ですよこの辺。この右側が七軒屋敷。
保育園出てすぐ東だと七軒も屋敷があったにしては狭すぎると思ってたんです。

元は七軒屋敷奥にあったという京福寺(栖徳寺)
顕彰会の地図の五輪塔片多数という場所が立木先生の栖徳寺推定地のようです。
この間の散策では行けなかったので次回にチャレンジしたいです。

先生の本で昭和30年代の幻庵池周囲の写真を見たんですが
畑だらけで何にもなくてなくて・・・羨ましい限り。
そういえば私が子供の頃の久野はほんとに畑ばかりだったなぁ。


関係ないですけど、
小学生の頃よく久野の親戚宅に遊びに行ってたんです。

市街地から久野へは市役所前の道を通ると思うのですが、
板橋からだといこいの森の山道から久野霊園への道を反対側に下って留場に出るんですよ。
(昔は新道はなかったので)
留場から大きくカーブしてさらに行くと総世寺があって。
今みたいに家がたくさんなかったので夜になると真っ暗で怖かったです。

で、何が言いたいかと申しますと
幻庵の時代、板橋から久野へはどこを通ったんだろう?
幻庵屋敷から総世寺へはどこを通ったんだろう?
やっぱり現在の山道は古道と同じなのかしら?

というボーッとした想い。。


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