北条幻庵屋敷を歩いてみた

おだわら散策
02 /25 2017
先日ご紹介した久野北条幻庵顕彰会の講演会で拝見した「幻庵屋敷想定郭心部位置図」

この図を見ながら久野の幻庵屋敷を歩いてきました。

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(幻庵池の位置を青〇でポチッ)

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幻庵の池。
池周辺の「中宿」地区に幻庵の居住屋敷「中屋敷」があったと言われてます。


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池入り口(久野保育園入り口)にわずかに残る中屋敷の土塁。
池からの水が道路左端を流れてます。


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保育園運動場(子供達は野原と呼んでた)の東側の柵に沿って土塁が続いていたようです。
写真左手が中屋敷の東にあったという「七軒屋敷」跡・・・でしょうか。

敷石が残ってるらしいのですが私有地なので確認はできません。


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中屋敷の北、水路跡の先にある現在の水路。


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保育園北の「オチャノミズ」(御茶ノ水)

幻庵の頃から利用されていた湧水です。
今はチョロチョロとしか出てないようですが・・・


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オチャノミズ近くの祠。
湧水は祠前の水路を通り幻庵池へと流れます。


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保育園をぐるっと回り幻庵池に戻ってきました。

右にあるのが幻庵の御霊屋。
新編相模国風土記稿によると
「五輪の頽碑苔生て、前に石の燈臺一基あり・・・(中略)香花の手向もなく古墳空しく荊棘中に埋もれしは歎ずべし」

風土記が書かれた天保の頃はだいぶ荒廃していたようです。


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御霊屋の橋の下の水路。
オチャノミズからの水がここで幻庵池に流入します。


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御霊屋の奥、元はオチャノミズから真っすぐ南へ続いていた道です。
左手が少し低いので土塁があったのかもしれません。

この先は駐在所前の車道に出ます。


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ここにも祠。


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車道脇に集められた近隣の石碑。久野には寒念仏の碑が多いです。


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幻庵池のちょうど裏にある中宿公民館。
建物右、木が茂ってる向こう側が幻庵池です。

幻庵屋敷はまだ2ヶ所しか発掘調査されていないのですが、ここがその1ヶ所。
公民館新築に伴う調査で堀と土塁が発見されています。


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もう1ヶ所は久野小学校並びの住宅地なので撮影は控えました。
代わりに「小田原の遺跡探訪シリーズ8 久野遺跡群」より堀の写真を。

かなり大規模な堀で、しかも堀の東側の幻庵池周辺より標高が高いので、
中屋敷は堀の西側、小学校の方だったんじゃないか?という疑惑が生じてるとか。うーん・・・

早く他の地点の調査もしてほしいわぁ。。


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久野小学校の隣にある東泉院。
大永元年(1521)総世寺第7世大休宗恵により開山。幻庵が久野に来る以前からあったんですね。
このお寺も幻庵屋敷にスッポリ入ってて、小学校とお寺を含む広大な敷地の周りに堀があったと想定されてます。


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東泉院北側の道。堀道に見えます。


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東泉院参道。ここも推定堀道。

参道の東側に砂利の敷石や幻庵石なるものがあるようなのですが私有地なので当然わからず。
(幻庵石ってなんだろう?)


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中屋敷の南、古道か堀道と思われる道路。

中屋敷、七軒屋敷の他に「太鼓屋敷」「丹波屋敷」という字もあって、それらは風土記には南!としか書いてないので
南のどの辺かはサッパリわからずモヤモヤします。

 
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ここにも石碑達が。


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図の一番南側、旧門跡はこの辺りです。(旧門と言うからには新門もあるのかしら?)

現在の道路と古道(?)が同じなのはここまで。
ここから古道(?)は緩く東を回り中屋敷方向へ戻りますが、住宅地や畑に埋没してるので追跡は困難です。


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なんとなく、住宅の手間の盛り上がりが土塁の名残なのかな?そうであって欲しいなぁ・・・と。


この後は幻庵の供養碑がある京福寺に寄りましたが、長くなるので後日に。


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