方広寺の五百羅漢

静岡県
06 /29 2017
奥山氏館跡からさらに奥へ、井伊谷の龍潭寺からだと車で10分くらいでしょうか。
臨済宗方広寺派の大本山である深奥山方広寺に着きます。

創建1371年。
開基は奥山朝藤。
しのさん(ほんとはひよさんらしい)の父、奥山朝利の3代前の当主。
開山は無文元選。
なんと後醍醐天皇の皇子。元で修行を重ねた超セレブな名僧。
こんなすごい僧を招けるなんて奥山氏の力っていったい。


なお、大河ドラマでおとわの修行シーンが撮影されたのがこの方広寺です。


hoko3.jpg

黒門(総門)
この奥に受付があります。拝観料は大人400円。

hoko16.jpg
(方広寺HPより)

境内はこんな感じです。
黒門から本堂まで15分くらい。


hoko4.jpg

赤門(山門)


hoko5.jpg

宝暦年間の住職によって発願されて以来、境内の至る所に五百羅漢が置かれています。
古いものから新しいものまで物凄い数です。
必ず自分に似た羅漢さまに出会えるとか。


hoko6.jpg

hoko7.jpg

昭和の頃まではこの羅漢像を盗んで庭の飾りものにしてた不届き者がいたそうです。
これだけたくさんあるから1体くらい、、と思うのでしょうか。罰当たりにもほどがあります。

その後地元の人達の協力もあり、全ての羅漢像の年代や位置が細かく調査されました。


hoko8.jpg

五百羅漢を眺めながら歩く沢道は実に気分爽快。


hoko10.jpg

椎河竜王のお堂。
すごいところに建ってる・・・


hoko11.jpg

やがて見えてくる本堂。


hoko14.jpg

静岡県最古の木造建築物。1401年建立の七尊菩薩堂。国の重要文化財。
明治時代の大火で伽藍のほとんどが焼失してもこれだけは残ったそうです。
ここまで古い建物はなかなか見れないので感激。


hoko15.jpg

半僧坊真殿

方広寺は別名「半僧坊」と呼ばれていて、なんでかな?と思ってたら
寺の鎮守が半僧坊というそうで。

半僧坊は開山の無文元選禅師を慕って弟子入りした高い鼻の異人で
その正体は神様だったんですって。(本堂でビデオ見て驚いた)

神様が弟子って・・・凄すぎます無文元選さま。


hoko17.jpg

焼失後、明治38年~大正7年にかけて竣工された本堂。
カメラに納まらないほど巨大。


hoko18.jpg

本堂のお庭には最近寄進された真新しい羅漢さまがいっぱい。


hoko19.jpg

でね、わたし、出会ってしまいましたの。自分に似た羅漢。



この壊れた宝篋印塔を「え?」って顔で見てる羅漢さま。
寒川の生往寺でバラバラ宝篋印塔見てショック受けた私そのまんまじゃん(笑)

いやぁビックリビックリありがたや
まさか姿かたちでなくシーンとしての自分に出会えるとは~


にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

関連記事

奥山氏居館跡

静岡県
06 /23 2017
大河ドラマ館の帰りに奥山に寄りました。



奥山は井伊直政の母の実家、奥山氏の領地だった所です。
井伊の有力分家である奥山氏はかなり広大な地を支配していたらしく、現在の地図でも奥山地区はとても広いです。
大河を観てるといかに奥山氏の力が強かったかよく理解できるのですが、
浜松市のずーっと北、ここも浜松なの?まだ静岡なの?ってなくらい遠方で未だ訪問できない高根城も奥山氏の手によるものと知った時は少々クラクラしてしまいました。


奥山には湖北五山の方広寺があるのでそちらを目指し、
途中にある奥山氏館も見れたらいいな~ でもほぼ畑化してるらしいから場所がわからないかも~

なんて思ってましたら

okuyama1.jpg

難なく見つかりました。
旗立ってるし(;´∀`)

この高台一帯が奥山氏の居館跡。
地元では今城とも呼ばれていたそうです。


okuyama4.jpg

昨年の秋に設置された立派な説明板。それ以前は何にもなかったそうです。
大河の力ってほんとにすごい。

高台へ上る道はもちろん後世のもので、館の遺構は特にありません。
風土記では礎石や井戸が確認されてるらしいのですが現在はどうなってるのかわかりません。

okuyama2.jpg

okuyama3.jpg

説明板の部分拡大。

okuyama6.jpg

館跡は一面ミカン畑。
ロープが張られているのでごくわずかな部分しか見れません。


okuyama5.jpg

何もないけれど
地元の方達が館跡として伝え、こうして形を残してくれているのは有難いことです。

ここに館があって
しのさんやなつさんや六左たちがいたのかも~と幸せな物思いに耽られるひと時。


あ、奥山のこと調べてて知ったのですが、
昭和39年に廃線になった遠州鉄道奥山線の中村駅がこの館跡のすぐ近くにあったんですね。
このあたりは奥山の中村といったそうです。

遠州鉄道奥山線は浜松から奥山までを結ぶ路線で
祝田、気賀口、井伊谷、奥山などなど井伊家の歴史を訪ねるのにちょうどいい駅がずらりと。

今も健在だったら奥浜名湖の観光に便利でしたよね。


にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村


関連記事

大河ドラマ館「おんな城主直虎」へ

イベント、博物館など
06 /16 2017
梅雨入りして最初の日曜日、「おんな城主直虎」の大河ドラマ館に行ってきました。

naotora1.jpg

私、大河ドラマ館って初めてなんです。
「真田丸」の時はオープン前の建物を見ただけ。
期間限定だし遠方だとなかなか難しいですよね。

直虎さんは浜松ですので、いつでも行ける!と思いながらも混雑期を避けてたらこんな時期になってしまいました。


naotora2.jpg

大河ドラマ館(みをつくし文化センター)入り口。

おんな城主直虎の大河ドラマ館があるのは浜松市の気賀。
直虎さんが走り回ってた商人の町、あの気賀です。


naotora3.jpg

館内は井戸セット周囲以外は撮影禁止。
入るとすぐに幻想的な川があって、一気にドラマの世界に引き込まれます。


naotora4.jpg

撮影が許可されてる井戸まわり。
人が絶えることがなかったのでモザイクで失礼しますm(__)m

手をかざすと水が動くのでお子様たちは大喜び。(私も)

naotora5.jpg

凛々しい直虎さんとにゃんけい様。

ご紹介できるのはここだけですが、衣装や小物(脅迫状もあった)、パノラマシアター(井伊谷の自然が美しい)、
気賀のVR体験(ヘッドセットなるものを初体験)、その他充実のパネル展示で入場料600円分は十分に楽しめました。
やっぱりいいですよ、大河ドラマ館。


わたくし昨年の今頃、龍潭寺の記事で
「おんな城主直虎」はやっぱ直虎さんと虎松の心の繋がりがベースなのかなーとか、
涙腺やばそうーとか、柴咲コウさんはほとんど尼僧姿だろうから姫を期待してる人はガッカリするんじゃ・・・とか 
書いてるんですけど


全然違いましたねー (∀`*ゞ)エヘヘ

涙腺どころか毎回笑えるし虎松全然出ないし着物綺麗でカッコいいし~
いい意味で期待を裏切られました。まさかああいう路線で来るとは驚きです。

菅田くんがいまだ登場してないのも驚き。
直政ナシで半年以上ですよ。こうなるともう直政いらないんじゃないかと。
このままずっとサザエさんみたいな「楽しい井伊谷」を見ていたい。


なお、私の現在のお気に入りは之の字と傑山さんです。


naotora6.jpg

ドラマ館近くの自販機。

去年からすでに浜松は直虎さんで盛り上がってましたが今年は当然ながらさらにヒートアップ。
井伊谷に至ってはどこへ行っても赤い旗がドーンと。
大河ってほんとにすごいです。


naotora7.jpg

ドラマ館の隣にある気賀関所。
入場料150円ですが大河ドラマ館開催期間は無料となってます。
駐車場から関所を抜けて大河ドラマ館に行くルートになっちゃってるので通らない人はいないでしょう。

ちょうどいい。
だからここにドラマ館作ったの~?だから気賀アピールしたの~?と穿ってしまうくらいちょうどいい(笑)


naotora8.jpg

お土産屋や観光案内所が並ぶ田園空間博物館というスポットに併設されてるので
「関所のある道の駅なんだろうか?」と不安になってしまうのですが、
関所の方はこのように立派に再現されています。


naotora9.jpg

お役人の方々。


naotora10.jpg

遠見番所の櫓から見た景色。


幸い雨には降られなかったけど梅雨入りしたということで、
いつもの日曜よりはお客さん少ないね~ と売店の方のお話。

それでも写真を撮るのに人が少なくなるのを待たなければならない混雑でしたので、
やはり梅雨時に来て良かった! です^^


にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村
関連記事

大森氏の子孫・・・菊地氏

大森氏をたずねて
06 /13 2017
先月、寒川町の方から「寒川町に菊地氏(大森氏)の史跡が残ってます」とメールを頂きました。

頂いて「あぁぁっ菊地氏~」と雷鳴のようにその名を思い出し(笑)
この間寒川に行ったばかりなのになぜ気づかなかったんだー 
自分の忘れっぽさに今更ながら呆れた次第でございます。


乗光寺のところで少し書きましたが
正保の頃に大森氏の子孫、大森(佐久間)頼直が荒廃していた寺を小山町生土に再建し、
その時に一族の家系図も整備してるんです。

kikuti5.jpg
(別本乗光寺本大森系図 『大森氏と足柄』足柄史談会 に加筆)

頼直からさらに100年以上後に子孫が書いた別本乗光寺本大森系図の一部です。
わかりやすく加筆してみました。

寄栖庵氏頼は嫡男の実頼に家督を譲り隠居します。
ところが実頼は父より早く亡くなってしまい、子がまだ幼かったので次男藤頼が跡を継ぎます。
この藤頼の時に早雲が小田原に進出、藤頼は平塚の真田城に逃れ、ここで小田原大森氏は滅亡。

実頼の子、泰頼は相模を離れ甲斐へ。武田の家臣に。
泰頼の子、泰次は縁戚である北条家臣の山中氏仙波氏らによってひそかに相模一之宮(寒川)に戻され、外戚の菊地に改姓。
泰次の孫、頼照は北条家臣の佐久間勝之に養われ佐久間に改姓。
頼照の子、頼直は乗光寺を復興、幕府に大森姓に戻すことを許可される。

このように小田原大森氏の直系は
菊地→佐久間→大森 と姓を変えて生き抜いていたのです。


kikuti1.jpg

メールで教えて頂いたのは菊地氏の菩提寺である生往寺。
菊地秦次の開基です。

寄栖庵の曾孫なんだなと思うとちょっと胸が・・・(´;ω;`)

ここに泰次らの墓、宝篋印塔があるそうです。


kikuti2.jpg

すぐ近くを圏央道が走ってるので最近境内が改変されたのでしょうか。とても真新しい雰囲気。

菩提寺ということで墓地には菊池姓の墓がたくさんありますが・・・・
泰次さん達のお墓がどこだかわからない。

おかしいなぁ 入ってすぐの所に説明板付きであると聞いたんだけど・・・

そうと思われる一角は土を掘り起こして工事中のようで、
ふと本堂の脇を見ましたら、バラバラになって番号を張られた宝篋印塔や石仏が。

あぁ~ なんて間の悪い。
理由はわかりませんが泰次さん達のお墓は整備中だったようです。

せっかくなのでバラバラの宝篋印塔に手を合わせました。
これはこれでいい思い出になったかも(笑)
(写真も撮ったけどさすがに載せられません・・・)

寒川は近いですし、整備が終わった頃を見計らってまた寄ります~


kikuti4.jpg

もう一つ菊地氏関連の史跡、車地蔵です。

こちらのサイトに詳しい話が紹介されてます。
要約すると
泰次が子供に恵まれない家臣秋元金平に実子菊之丞を養子として与えた。
金平は大変喜んで一層忠君に励み菊之丞を大切に育て、車地蔵の建立を願い出た。
車地蔵は子々孫々に幸せを車に乗せてもたらすと言われている。
建立された車地蔵に熱心に祈りを捧げた金平のもとで菊之丞は立派に成長し、
やがて金平の妻も珠のような赤ちゃんを授かった。
以来「子育て、子作り、安産」を願う近隣の人々に信仰され続けている。


良いお話ですよね。
こんなお地蔵さまがあったなんて、私も将来孫ができた暁にはお参りしなければ。

通常は写真のように扉が閉まっているのですが、
毎月24日には開帳されてお地蔵様を拝めるそうです。


次回の寒川探索は宝篋印塔が直った頃の24日にしようと心に誓う。


にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

関連記事

北川殿と笠原新六郎

静岡県
06 /09 2017
意味深なタイトルになってしまいましたが
北川殿と笠原新六郎(政尭)に何やら関係があるのではなく、
大平新城&古城の帰りにそれぞれの菩提寺に行った というただそれだけの話です(;´∀`)

togen1.jpg

前にも触れましたが大平は今川氏に縁の深い地域で、
今川義忠の正室北川殿の菩提寺、桃源院があります。

大平の大井地区、石切り場もある切り立った山の影。
とても静かで気持ちのいい場所でした。


今川義忠は義元の祖父、北側殿の産んだ子が氏親で義元の父になります。
ややこしいので義忠~氏真を正室付きで表すと

 今川義忠(北川殿)━今川氏親(寿桂尼)━今川義元(定恵院)━今川氏真(早川殿)
   
このうち北川殿と早川殿は北条家の人です。
といっても北川殿は北条早雲の姉ですのでまだ北条家ではなく伊勢家の頃なんですけど。

ここ20年くらいで一気に進んだ早雲の出自研究では北川殿の存在が非常に大きく、
だって今川に正室に入れるくらいの家柄のはずなんですから。
北条早雲と北川殿の父は室町幕府政所執事の伊勢氏の一族、伊勢盛定。
そして母は伊勢氏宗家の伊勢貞国の娘、というのが現在の定説です。

今も早雲は素浪人だと信じてる人はいないと思いたい・・・


なお北川殿は妹とも言われてますが、それは早雲の生年がはっきりしてなかったせいで、
確実な資料には全て姉と記されています。

姉なんです!姉で統一してくださいっ


togen2.jpg

山門は寛政年間築。
近隣の武家屋敷からの移築だそうです。


togen3.jpg

山門から見る本堂。


togen4.jpg

togen5.jpg

明るい雰囲気の桃源院境内。

残念なことに北川殿の五輪塔は地震による山崩れで所在がわからなくなってしまったそうです。
偏照寺の今川範氏親子の墓のように、ひょんなことで発見されるといいですよね・・・



togen7.jpg

こちらは三島市御園の亀霊山蔵六寺。
大平新城からは車でほんの2~3分、狩野川を越えてすぐの所です。

戸倉城の記事で書いた笠原新六郎ではないかといわれている正厳和尚が開いたのがこの蔵六寺。
そうです。あの蔵六寺なんですよぉ。

三島市郷土資料館で和尚の墓の写真を見て訪問したいと考えてはいたんですが、ホラこの付近って常に行きたいとこ満載で。
ひなMAP(非公開のGoogleマイ行きたいとこマップ、現在200ヶ所以上、特に静岡はごちゃごちゃ状態)に印してあるんだけど場所をきちんと把握できてなくて、
大平に着く寸前に「あっ 蔵六寺がある!」って発見したんですよ。(発見か?これ)

ですからこの日に蔵六寺に行けたのは偶然。新六郎か神のお導きなのでしょうきっと。


togen6.jpg

亀ハウスではありません。本堂です。

笠原新六郎は出家して蔵六坊と名乗り、後にこの地の後藤石見守に請われ開山しました。
亀霊山蔵六寺には亀のように頭、手足、尾の六本を蔵す(隠して見せない)という意味があり、
新六郎が世を忍んで悔恨の日々を送っていたことが推察できます。


togen8.jpg

歴代住職の墓誌。
最初に正厳和尚が記されています。

天文2年(1533)後藤石見守に請われ開山、和尚が亡くなったのは永禄3年(1560)とあります。

新六郎が戸倉城で武田に寝返ったのは天正9年(1581)なので年代は全く合いません。
やっぱり別人か、寺の縁起が間違っているか、どちらかですよね。


togen9.jpg

一番左が正厳和尚の墓。


笠原氏は元は伊勢氏に仕えており、早雲に従い下向した古参の家臣です。
ところが最近聞いた話ですが、
信濃に別の笠原氏がいて、武田に敗れて一部が相模に逃れ北条の家臣になって、
その内の一人が松田の養子になり松田新六郎と名乗り、戸倉城に入りやがて武田に寝返り・・・云々


って、何なんでしょういったい。


あと、
映画『ステキな金縛り』で西田敏行さん演じた更科六兵衛のモデルは笠原新六郎らしい・・・
というのも最近知りまして


まさか映画デビューも果たしていたなんて。

ほんとにわからない人です新六郎。


にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


関連記事